an odd fellow

読書と写真と情報工学

聲の形を見た

「これを見たあなたはどう思う?」をすごく感じた映画だった。これに従って、思ったことを書いてみる。

まず、はっきり言って、障害者を問答無用でいじめるということに混乱した。少なくとも僕の良心の範疇では、あり得ない行いで、見てる間も身体が凍りついていた。結局イジメは罰せられて、ピアスを引きちぎられた母親の姿を見た時は、きっと誰もが脱力して、どうもこの話は"違うんだ"と思ったとおもう。

だけれども、これはあくまでも僕の良心の話であって、今一度冷静に考えなおせば、相手は小学生なのだ。西宮硝子が来るまでは皆の普通で平々凡々とした小学生の生活の様子が軽快な音楽とともに描かれている。これが今まで存在しなかった、声が話が通じない人間が現れて、みなイライラが募ってしまう。この類のストレスを小学生はどう解消したら良いのかまだ知らないのだ。これがイジメという形で出た。そういう話の作りに思った。作中でも、西宮硝子との意思疎通がうまくいかずイライラして手が出る、そういうシーンばかりだったように思う。島田一旗の話だってそうだ。主人公が西宮硝子をイジメることにかれは消極的だった。これも意思疎通ができてなかったのだ。結局そのイライラが主人公をイジメることになる。

そして、西宮硝子はきっと耳が聞こえないとかそんなこと以前に、純粋過ぎたのだと思う。終盤のシーンではっきりとわかるのだけど、「バカ」を手話で表現した植野直花に対して西宮硝子が喜ぶのだ。意思疎通を相手がしようとしてくれたことに関して、ああやって本当に嬉しそうに喜ぶ子なんだとわかる。

さて、僕は高校生パートの話を赦しの話だと考えている。映画を見る前は贖罪の話だと思っていたし、前評判もそうだった。前評判の大半はこういう感じだった。

「いじめてた人間が都合よく許されていたように感じだ」

正にこれが、この作品で議論したかった点では無いのだろうか。自殺を未遂するくらい思いつめたから赦されるのか?手話を覚えた?だからなんだ?過去の罪は赦されるか?

これに対してのアンサーとして西宮硝子の自殺未遂じゃないかと思う。手話を覚えて、自殺を計って失敗して、西宮硝子の自殺を止めて代わりに落ちて死にかけるほどの主人公に関して、あとは何を思えばいい?

この話は一番究極的なイジメの加害者が死にかける話をやった。それでもって、加害者を赦す話を描いた。それで消費者のあなたはどう思ったか、わたしも正解はわからないから色んなひとに語って欲しい。そういう作品でないかと僕は思った。