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an odd fellow

読書と写真と情報工学

クズと金貨のクオリディア

高校の同窓会で友達に「オレガイル結構面白かったよ」と話題を振ったら、借してくれた。

変猫の作者とオレガイルの作者とのリレー小説形式になっていて、主人公パートとヒロインパートで筆者が違うので、本当の意味で主観が切り替わっている。どうやら「主観のすれ違い」がこの本の主題であるらしい(あとがきにあった)。リレー小説という形式で作者達自身が実践しているというのが面白い。

最近は森博嗣桜木紫乃ばかりなので、こういうこてこてのライトノベルの主人公の地の文の自分語りが痛すぎて、最初は辛かった

本来、時間や予定をコントロールするのが万物の霊長たる人類の証であるというのに、それすらできないとは…。フハハ!哀れだな!惨めだな!俺と彼らどちらが哀れで惨めであるかは言うまでもないことだな!(自虐)

みたいな文章を読むとぞっとした…。昔は読めたけど…。ただ上で書いた通り、主人公パートとヒロインパートで同じ事象に対しての意見の異なりが面白かったので最後まで読んだ。呼んでいくと後半の方に

世にあるのは主観と客観ではなく、主観と主観だけ。主観の対義は客観ではなくた他の主観だ。

とあって、それで最終的には結構好きな作品になった。

僕は自分の主観が至って平均的で一般的なものであると信じていて、その常識的思考(と思っていたもの)を心の拠り所にもしていたくらいで、ボクは至っていわゆる一般的な思考、これをやると非難に合う、これをやると喜ばれる、という基準が世間に合致していることがステータスだと思っていたんだけど、どうやらボクの主観は狂っているらしいと思い知る出来事があって、具体的には「君の倫理観はおかしい」と指摘されたんだけど、"主観の対義は他人の主観"は「ほんとそれ」という気持ちで読んだ。読み終えてから読書メータで他人の感想を読むのがボクの読書の習慣のひとつなんだけれど、「主人公がクズ過ぎて読むのが辛い」とか「ヒロインサイコパス酷い」とかが圧倒的に多くて、ボクの感想とは正反対だったのも、これが「客観」なんだなあとむざむざと感じさせた。主人公やヒロインに対して引き気味の感想がおおくて、自分と重ねるひとっていないんですね…。みんなちゃんと社会と適合して、この本の特にヒロインみたいな性格の人物を避けて生きていて、彼女に対して「酷い」とか「引く」とか言えるようなそういう人たちが多いんだなーっておもいました。

多様性という言葉、ボクは結構好きで、実際に実現されてきていると思っていたんだけど、「他人に危害を加えること・迷惑をかけること」に対する主観については統一された思考がやっぱり求められてるんだよなって、そういうことをおもいました。までも確かに、つきつめれば人を殺しても良い社会が出来てしまうんだけれども、多様性ってなんでしょうね。おわり。